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マンハッタン計画

スミソニアン博物館に展示されるエノラゲイを見ようとニューヨーク行きを考えたのは、昨年の秋の話であった。ところが、都合を合わす事ができず(実際のところは忙しくて)、それはまたの機会という事になった。そのうち行こうと思うのだが・・・

タイトル「マンハッタン計画」は、第二次世界大戦中に米国が行った原爆製造研究のコードネームを指す。ナチスドイツに核兵器開発において先を越される事を危惧したハンガリー人のレオシラードが、アインシュタインを説き、ルーズベルト米大統領に進言させたというものが事の発端と言われる。

「ドイツはチェコスロバキアの鉱山から産出するウランを売ることを事実上停止した」また、「ベルリンでは・・・・米国が行っているウラン研究のうちの幾つかが反復して実施されている」。アインシュタインはそう報告したそうだ。

ルーズベルトの号令の下に多くの科学者が集まり、マンハッタン計画はスタートする。そして、終戦までに3つの原子爆弾をこの世に誕生させる。一つ目が、実験に使用された
ガゼット、残り二つは日本の大地でさく裂したリトルボーイ、ファットマンである。

このマンハッタン計画は、その実験の成功によって終わるべきものであった。いや・・本来ならばナチスドイツが5月に降伏をした時点で、その兵器としての使用がその計画の趣旨からして封じられるはずのものであった。しかし、その年の4月にルーズベルトが突如この世を去り・・秘密計画を知らされた次期大統領トルーマンらによる協議結果とは、原子爆弾の日本戦への転用であった。


1945年の7月16日、
ニューメキシコ州アラモゴード付近のアラモゴード爆撃試験場でついに、世界最初の核実験が行われる。プルトニウム型の原子爆弾の有効性に疑問を抱いていた科学者ら(ウラン型には自信があった)は、実験計画のコードネームをトリニティーとして、ガゼットを爆発させた

マンハッタン計画に参加した科学者達は、主にナチスドイツの脅威を受けたヨーロッパ大陸からの移民であった。そのため、5月のドイツ降伏を受けて、この実験の意義を考えたという話も残るが、実験の成功を目前に控え、そうした哲学的思想のほとんどが忘却されたに違いない。またはそう考える事が平和に繋がる、また科学者の務めとしたのであろうか・・彼らはトリニティー実験に向けて、対日戦線の末期、最後の精力を尽くすのであった。

エンリコ・フェルミ等の尽力によりトリニティーテストは無事に成功する。しかし、その想像を超えた成果を目の当たりにして人間に立ち戻った科学者達は、人類への使用を控えるべきであると運動を始める。

しかしながら、二十億ドルを超える莫大な予算を投入してようやく手にした超新兵器を対日戦線へと投入しないというのは、トルーマンにとってのばかげた話であったろうか。それは、アメリカのパワーを世界に見せつける示威的行為、長引く戦争と犠牲による厭戦ムードが覆っていたアメリカ国内に対する政治活動に利用された。

日本の降伏が迫り、トルーマンはリトルボーイを積んだエノラゲイを広島の空へ飛ばすよう命じた。これはロシアへの牽制行為という、明確な政治目標を含んでいた。科学者達、また陸海軍の将校たちは、公開実験をする事で日本にその爆弾の威力を見せ付けるべきだと何度も主張するのだが・・

その目標点となったのは広島市の相生橋であった。候補地選びとしては、この広島に加え、京都、新潟であった。京都という目標は、その後の占領政策を考え、小倉に変更され、最終的には、長崎に変更となった。

4トンのウラン型原子爆弾リトルボーイは、相生橋から南東方向に少々ずれた島病院の地上580mで太陽へと変化した。その時の温度は太陽表面の数倍であり、一瞬にして半径300メートル大の火の玉になったという。

これを見た人たちが「空にもう一つの太陽が現れたようだった。」と言うのは、計測上も間違っていない事になるだろう。この火の玉の中にいた人は2万から 3万人と言われ、「あ」っと叫ぶことなく、昇華したといわれている。高熱と爆風により、石に人が黒く焼き付けられたりもした。その地上に生息する全ての生き物が一瞬にして絶滅したのだった。

Pc01 と同時に、数万度の熱線とガンマ線が同心円状に飛び散り、その強烈な放射線を受け、死者は一瞬にして7万人へと膨れ上がる。半径2キロ以内の家屋を全てなぎ倒し、その爆風と放射線は広島の山に2度3度と跳ね返り、市内で生き残っている人々を再三襲ったという。

さらにその後、放射能に汚染された死の雨と呼ばれる黒い雨がその大地に降り注ぎ、後 世にまで残る放射能汚染の被害や遺伝子障害までをも引き起こしたとされる。このため、1945年12月末までの死者が14万人に到達し、その後の5年間でさらに6万人の人々が被爆により死んだといわれている。

G1_1 B29の3編隊のうちの一つ「ネセサリー・イービル」は、この原爆の様子をカメラに収める ために広島上空にとどまる。その写真が広く公開され、誰もが一度は目にした事のあるだろう、広島上空のきのこ雲映像となる。

続いて、1945年8月9日、B-29“空の要塞”がプルトニウム型の原子爆弾“ファットマン”を長崎に投下する。上空の雲が邪魔をして投下する地点を誤ったために犠牲者が減ったとされるもの、1945年末までで、この原爆により長崎市民7万人が犠牲となったといわれる。


ここから少し私の話をする。

大学時代、ファインマン などに憧れ、私は素粒子物理学の研究に自分の時間を費やした。そして、いくつかの好機に恵まれて、米国のフェルミ国立加速器研究所 で客員研究員として働く事が許され、博士課程在学中に海を渡ったわけである。

この研究所は、物理学への貢献に多大な寄与をしたエンリコ・フェルミ を称えて建設されたものである。その当時の私は胸を躍らせながら、目の前の物理に対峙し、ファインマンや、フェルミに大きな憧れと敬意を持っていたはずである。

フェルミは、開戦の前に原子核物理学での功績によってノーベル賞を受賞し、その後、世界初の原子炉を完成する。これは原子爆弾の燃料であるプルトニウム生成を可能とさせた。ファインマンは、戦後の素粒子物理学への多大な貢献という事で、日本の朝永振一郎とともにノーベル賞を受賞している。

その一方で、この両人はマンハッタン計画の中心的な人物であり、多大な貢献をした人であった。ファインマンは、ウランやプルトニウムの臨界量を計算し、その設計に尽力をした。フェルミは前述のように、トリニティーテストの中心人物であった。当時、核分裂の権威でもあったフェルミの力なくして、この計画は進まなかったとも言えるであろう。

マンハッタン計画の科学指導者であったロバート・オッペンハイマーは、トリニティーテストの後、そして終戦後に次のように言ったといわれている。

私は破滅、世界の破壊者、を迎えた。

科学の深層はそれらが価値があるが故に見出されず、それらを見出すことができるが故に見出される、ということは深遠で必然的な真理である。


フェルミは、広島や長崎の報を聞いて、部屋に閉じこもりだったといわれている。そして、口を開くこともなかったようだ。

アインシュタインは、自分のした事を悔いた。


今朝、北朝鮮で正体不明のミサイルが次々と日本海に向けて発射された。当時の科学者達は、その後の世界の様相をどのように天国で見ているのだろうか。彼らは科学の熱心な信者であり、その輝かしい才能を持ち、独自の正義感を持ったが故に、苦心したに違いないし、その過ちに時間をかけながら気づいた事であろう。

だがしかし、人類の科学というのは不幸なもので、自分が抜けたとしても勝手に進歩するものなのである。稀代の天才と言われたフェルミが欠けたとしても、原子爆弾は製造されたに違いない。その不幸は現在も変わらない。

寝る時間も無く、夢中になって研究をしていた頃の自分を思うと、こうした悲劇に、特別の感情を私自身が抱かずにはいられない気持ちになる。科学者は何のために生きるのだろうか?


1948年に米陸軍参謀長オマール N.ブラッドレーはこう話す。

我々には科学者は大勢いるが、神となる人は少数しかいない。我々は原子の神秘を手に入れたが、山上の垂訓を拒絶した。世界は英知なしで繁栄を、良心なし で権力を得た。我々は核の巨人と倫理の幼児の世界にいる。我々は我々が平和について知っている以上に戦争について知っており、生きていくことを知っている 以上に殺すことを知っている。

科学の能力とは、人を活かす事も、殺す事もできるという事である。そして、それを実施発揮するのは、個人ではなく、集団の価値であり、そこに倫理観が付随するとは限らないわけである。

さらに、エノラゲイ搭乗員たちの多くの意見を紹介する。

「だれかが『この戦争は終わった』と言った。私もそう思った」
セオドア・バン・カーク

「多くの人々が死んでいっているのは分かっていた。喜びはなかった」
モリス・ジェプソン

「我々はなすべきことをしたと思う。作戦に参加できて幸運だった」
フレデリック・アシュワース

「こうしたものを使わなければならない時は二度とあってほしくないと思った」
チャールズ・アルバリー

彼らの主張は、その行為そのものに間違いはなかったといったものであり、そうしたたくさん の賞賛ある紹介がスミソニアン博物館にエノラゲイと共に記されているという。

本当に戦争が終わったと言えるのか・・・その後の歴史を考えれば、その理屈の間違いに気づく。そして、一番問題であるのは、これを是としてしまう事であろう。これを是とし、また正義を振りかざすがために、今日も米軍は変わらずに世界の各地で殺戮を繰り返している。

また、北朝鮮から逆にミサイルを突きつけられる始末となる根本は、ここらへんにあるに違いない。人類は何も変わってはいない。力だけは肥大化しても、知性が幼稚であるゆえ、同じ事を繰り返すのである。これを悲しみと云わずして何と表現したら良いものであろうか・・・。

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