« 旅で考えたこと(後編) | トップページ | 臨界事故に見るべきもの »

旅で考えたこと(靖国)

さて・・靖国についての記述をする。

日本に根付いた宗教について考えてきた・・・その結果、今の日本の状況というのは、世界史の中においても稀有な無宗教状態に落ち着いており、世界常識では考えられない文明国家を歩んでいる。

なんとも不思議な国だなぁと考える。しかし・・よくよく考えてみれば、日本人はやはり神道を柱にして成り立っている。伊勢神宮へ行ってみて、その事に改めて気づかされたのである。

アザラシのナカちゃんとやらが死んでしまったそうで、それを町の人々が大勢で線香を立てて弔い・・さらにナカちゃん音頭で踊ってしまう・・。滅茶苦茶だな・・と思いながらも、これが日本人なのだなぁと頷く。

そう考えた時・・国家神道が歴史の特異点として存在していた過去を、日本人として振り返る必要性に駆られる。

長々と・・キリスト教、仏教、神道、国家神道について触れてきたが、今回で終わりとする。

ただし・・靖国問題には触れない(結論だけ話すが・・)。

なぜならば、あれは政治問題であるし、極東軍事裁判の問題と天皇の敗戦責任の問題とのセットであるからである。この二つが解決難しい命題であり、戦後ずっとほっとかれてしまっている以上・・触れるとややこしくなる。

まず・・靖国神社とは何か?

靖国神社の前身は東京招魂社と呼ばれていて、長州藩士大村益次郎の提言によって明治2年に建てられた。

官軍の名を持って・・薩長土肥の藩士によって幕末の革命は遂行され、明治新政府は日本に突如として勃興するのである。しかしこの革命政府は直接的な指揮系統のある軍隊を持っていないという致命的な欠点を内在していた(そんな革命自体が稀有である)。

同時に徳川幕府の流れを引き続き、当たり前のようにして200を越す諸藩が存在していた。そのために武士はそれぞれの藩に帰属している。

彼らは変わらずに藩から俸禄を受けており、奉公の主である藩主のために命を落とすことがあっても、勃興したばかりの得体の知れぬ新政府のためにその命を使う事はないし、命令をきくという事もあるはずがない。

つまり・・一国家としての統一思想に程遠く、国家なんてものは無かったと言える。国のために命を使うという事はどういう事か?即ち・・公的な死(お国のための死)、又、天皇への忠誠を形として具体的に説明する必要性があったのである。

思想的な意味でいえば、明治に入ってしばらく経った後にようやく自由民権運動が起こるわけであり、明治維新成立時においては、誰もが(西郷隆盛でさえ考えられなかったのだから・・)自らを一日本国民だとは考えていなかったであろう。

およそ無茶苦茶な事をしてしまったわけである。

世界の帝国主義の仲間入りを目指す日本は、とにかく国家というものを(まずは)概念的に成立させる必要があった。そのために武士を廃業させねばならなかったし、中央集権体制の確立のために諸藩を潰し、国のために働くという・・国民を創っていく必要があったのである。

この作業が・・廃藩置県という作業であった。鹿児島県だけは薩摩藩として唯一独立的な存在を続けるのだが、西南戦争によって士族の全面的な敗北に終わり、侍家業という独占的人種が日本から消え、代わりに国民が誕生する事となる。

維新の功労者の多くの死が靖国に祀られたにも関わらず、維新最大の英雄であり、日本国家最初の陸軍大将であった西郷隆盛が靖国に祀られなかったというのはこのためである。

この後、神道を国教とし、東京招魂社を靖国神社と改め、以後神道によって祭祀する事となる。

明治政府は神道を改め、国家神道と呼んだ。

幕末時代の世界は前述の通り植民地時代である。世界は帝国主義国家により分割統治された時代であり、その国々はみな一神教国家であった。つまり・・それを真似たのであった。

日本が列強の植民地にならないために、明治政府は国を一つにまとめるための強烈なイデオロギーを政治的理由から必要とした(これはまさに時代の要請であった)。この道具として天皇(天子様)が切り札として存在する。

後ろ盾を持たない初期の明治政府は、とにかく天皇という概念を盾にして政を進めざる終えなかった。平田国学や水戸学などの尊王思想を吸い上げて成 立した革命政府としては、この思想エネルギーをより具体的に有形化する事によって、新興政府の機関として仕立て上げようとしたのである。

要するに・・神道のイデオロギー化の立場として国家神道は具現化され、靖国神社を国民の教義として利用していったのである。このようにして帝国主義的国家建設を目指すのだった。

幕末の日本は、神仏習合といって神も仏もまとめて信じる事を許していた(これは奈良時代の大仏建立まで遡った話で、当時から神道が認めてきた事だった)。しかし、純粋な国家神道の建設を目指す政府は、神仏分離を行い、また廃仏毀釈を進める(平田国学等の要請もあった)。

余談であるが・・この時、日本の仏教の文化財の3分の2は強制的に破壊されたといわれている。それほどにすさまじい政策であり、国家の必死さが伺 えるのである。そして神道の教義化が進むにつれ、軍国化を遂げていく。この流れにおいて、国家神道が国民の忠誠と献身を引き出す道具として位置づけられて いったのだ。

ひょっとしたら日露戦争勝利の最大の要因は、この靖国神社や護国神社の存在にあったのかもしれない・・というのはあながち嘘ではないだろうし、少なくとも僕はそう考えている。

こうして靖国神社と国家神道は、国民を一致するための大きな求心的役割を果たす・・と同時に、被占領地においての現地人の教化に使用された。

欧米がキリスト教を用いて植民地支配を思想的に行ったのに対し、日本は国家神道を用いて現地人(朝鮮、台湾、満州)の日本人化を行い、彼らの文化 歴史を抹殺し、統一化を図ろうとしていったのだった。それが日本の唯一の占領政策であり、これが大陸の人々が忌み嫌う元にもなっているようだ。

歴史についてはこんなところで良いだろうか・・

何をいいたいのかといえば・・こんな神社が今の日本に必要なのかどうかという事である。

歴史の面白さでもあるのだが・・起こしてしまった明治維新・・その後の国家建設において、国家神道と靖国神社は強力なパフォーマンスを示した。これは誰の罪かを言及する事に意味が無く・・時代による要請であった。

しかしながら、それが行き過ぎたことによって、敗戦を導く。

であるとすれば・・靖国は本来のあるべき姿に戻る事が、戦後60年を過ぎた今となって、考えてもしかるべきであろうと思える。それがまた・・現代という時代の要請なのではないだろうか?

国家神道は・・本来神道であるのだ。


8月15日になると靖国神社には多くの戦後世代の人々が参拝をするという。これらの人は国家神道の徒ではなく、そのほとんどが、日本人としての死者を弔うという精神的発想に起因して行動をしているはずである。

ならば、死者を選り好みするような・・融通の利かない形をとる必要ないだろう。ましてや分祀ができないなんてのは甚だ可笑しい。

8月15日・・つまり終戦記念日に靖国に行くという事のややこしさは、日本人が戦後処理をしてこなかった事にある。

日本人が日本の歴史に紳士として向き合うとするならば、本来ならば靖国神社は資料館にでもしてしまうべきであろう。過去の遺産なのであるから。

何千年の歴史の中の唯一70年やそこらの特異点として靖国は存在していたわけであり、日本人の心に根付く神道からそれを眺めてみれば、異端に違いがないわけであるのだから。

ましてや・・一国の首相が公式参拝するなんてのは恥ずかしい限りである。外国が何を言うかなんてのは関係がなくて・・・

歴史を振り返るとはそういうことである。それと、死者を弔うという事は別の話であるはずなのだ。


宗教というのは・・人類の精神的歴史でもある。一つ一つに深みと面白みが蓄えられている。

|

« 旅で考えたこと(後編) | トップページ | 臨界事故に見るべきもの »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/20479/5097033

この記事へのトラックバック一覧です: 旅で考えたこと(靖国):

« 旅で考えたこと(後編) | トップページ | 臨界事故に見るべきもの »