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臨界事故に見るべきもの

「被爆した人はチェレンコフ光が肉眼で見えちゃったんだって・・」

研究者仲間でそんな話をしていた事がある。

知り合いの教授に言わせれば、この世で最も美しい光が・・そのチェレンコフといわれる青い光であるそうだ(冷却水に沈められた原子炉付近が青く光って映るあれである)。美しいその光の恐ろしさについて、簡単な解説をしておく・・

粒子が光速を超えて進む場合・・ちょうど音速を超えて衝撃波が生じるように・・チェレンコフ光を発する。物質が光速を超えるというケースは、相当なエネルギーレベルの話である。

光が水中に入射するとその屈折率によって、光は減速する。しかし(真空中)光速(c)に近い速度まで加速している粒子は、光ほどに減速はしない。そうした状況下においてチェレンコフの発光現象が起きる。

スペースシャトルの乗組員がこれを見ると聞く。光速度の宇宙線(ガンマ線)が目の中の水晶体を通過する時、そのチェレンコフを発光し、目をつむるとちかちか輝いて綺麗なのだそうだ。

超高速度においては、チェレンコフ光がその物質とほぼ同方向に進むという特徴を利用し、私自身、粒子同定のチェレンコフカウンターという物理測定機器を加速器研究時代によく用いたものではある。だが・・当然ながらにそんな代物を肉眼で見たためしはないし、恐ろしくて見ようとも思えない。

これを肉眼で見てしまった・・というのだからJCOの臨界事故は壮絶なものであったに違いない。そして20svの被爆(8sv以上の被爆をすると人間の致死率は100%)をした大内さんと、負け戦を始めた医療チーム・・

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 Book 朽ちていった命―被曝治療83日間の記録

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この本は、被害者である大内久さんとそれを治療した東大病院スタッフ達の83日間の戦いをリアルに追ったドキュメントものである。

壮絶な放射線治療の現場と、その医療とは一体何であるのか?という哲学的主題が中心に添えられている。と同時に、家族との愛情の深さとその命の叫び、さらには、世へ向けた原子力利用に対するアンチテーゼまでもが短い本書の中に包摂されていると言ってよい。

人間が朽ちていくという・・過去のどんな歴史上にも登場することのない拷問劇の体験者とその観察者、治療者を描く事により、本書は放射線治療とは何なのであるのかを訴えるわけであるが・・これは私の専門域ではないので今日のところはその考察を留めておく事にする。

どうしてこんな悲惨な事故が起こってしまうのだろうか・・ここらへんをスポットとして、私としては考えを進めたいと思う。



このドキュメントを読んでみて気付くのは・・今までだってわかっていたはずの事ではあるが・・我々日本人は、皆、大内さんなのではなかろうか?・・そのような懐疑と不安である。

大内さんの妻が裁判で下のように証言している。

夫は日ごろ自分の仕事は危なくないと言っていたが、仕事の危険性をよく理解していなかったのだと思う。今では夫は会社に殺されたのだと思っている

臨界点(核分裂が始まる状態)に達するという事は、それなりの知識と技術を必要とするはずの出来事ではある。しかしながら、一定量を超えたウランを同時に取り扱うならば、その事がどれほど危険であるかくらいの認識がなかったのだろうか・・。

生身の人間が高濃度のウラン溶液をバケツにて混ぜ合わせ加工作業をする・・私には信じられないどころか、狂気に溢れた架空世界の話のようにしか思えない。百歩譲ってそんな話が現実にあると考えたとしても・・技術先進国であり、人権を憲法に明記する日本で起きる事なのだろうか?


ウランやプルトニウムが臨界点に達するという事は、つまりは、核爆発が起きるという事である。普通に生活している中で出会う事がありえないくらいの“危険”さであるはずなのだ。

とは言及してみるものの、我が国はそのエネルギーの多くを原子力発電によって賄っているのである。確かに発電所の原子炉は放射線が漏れないように厳重に遮蔽されているのだが、では本当に危険は全くないものなのか?そしてそれを国民が理解しているだろうか?・・と考えれば疑わざるを得ない。

かく云う私自身も、現存の原子力発電所にどれほどの危険性があるのかを定量的に知る事はない。過去の原子力事故として有名なものの中に、スリーマイル島原子力発電所事故やチェルノブイリ原子力発電所爆発事故があるが、こうした事が日本にも転移して起きない可能性を緻密に論じれるほどの知識を、残念ながら私自身も持ち合わせていないのである。

ただ直感だけで表現するならば、起きない・・そう断言できるものでは決してないだろう。核エネルギーの制御というのはそういう類のものであろうから・・制御棒がうまく作動しなければ、原子炉の中の冷却水が流れ出てしまったら・・自然災害の多いわが国において、100%確実な議論などできないように思えてしまう。


そう思いながらも、我々は原子力に依存し、その危険性を少なくとも知っているかのようなふりをして、平気な顔で暮らしているのである。原爆被害国とは名ばかりではないか・・あれほどの原爆障害の悲劇があったというのに・・どこかが麻痺しているのか、それとも恐怖を恐怖と感じられない病的症状なのか、どちらかなのではないだろうか。

この本を読み終わってみての感想は、そういった不安と無念が交じり合ったものであった。自分らも大内さんと同じく、(大内さんの妻が語るところの)危険性を正確に認識できていないうちの一人なのではないだろうか・・と。



最近は、地球温暖化の話がヒートアップしてきており、二酸化炭素を排出する事の悪性が強く議論されている。しかし、火力発電を減らすという事は・・原子力発電を増力する事に他ならないという事についてはあまり語られない。

実際のところ・・世界中の原子力発電所建設の受注は増えている。この事実は、環境破壊に対する大きな矛盾とはいえないのであろうか?

地球温暖化の原因を二酸化炭素の排出量と特定する事に、最初の疑義がある。確かに二酸化炭素には温室効果なるものがあるそうであるが、地球全体の空気中のわずか0.03%の気体によって、地球自身はそれほどに温室化するのであろうか?

当然ながら、専門家の中でこの意見は大きく分かれている。二酸化炭素の排出量と現在の地球の温暖化の因果関係を直接的に導き出せる科学者はいないであろう。何故ならば、地球自身がそもそも生きているのであり、長い年月の間、その体温調整が行なわれているわけでもあって、この事を結論づけていう事はできないのである。

核融合研究を志していた頃、私は、地球の放射エネルギーと生産エネルギーを手計算にてしたことがある。それによれば、地球の放射エネルギーというのは莫大な量であり(人間の生産エネルギーの約1万倍)、即ち、それと釣り合っている地球の内部エネルギーと太陽エネルギーの量も膨大なものであるはずだ。このエネルギー計算を定量的に、そして多変量解析を用いて今の科学が処理できるか?・・私には甚だ疑問なのである。

地球温暖化の話をしたいのではないので、話はこのくらいで留めておく。


では何故、環境破壊の曖昧な要因である二酸化炭素を減らす事に対して世界が努力する姿勢を見せる一方で、決定的な環境破壊因子である原子力については、依存していこうとするのであろう?

いくつか理由があろう。

世界規模のムーブメントとなった二酸化炭素削減運動は、実は、削減自体に経済効果を持っている。省エネ対策と銘打てば、そこに付加価値を生み、行政による規制がかかれば大きな経済需要が見込まれるのである。

であるから・・これを政治利用しようという輩が増えている。世界はクリーンになり、経済的なメリットもあり、自らの懐も潤い、さらに自分の政治プロパガンダにも利用できる・・といったところだろうか。

一方で、原子力の利用はどうかといえば、原子力建設自体が大きなビジネスであり、世界規模のエネルギー不足がいわれている昨今において、原子力をやめろと声を大きはくしない。原子力発電をやめることのメリットがないのである。生成してしまえば処理する事が困難な放射性廃棄物が大量に出るにもかかわらず・・・だ。

さらに、原子力発電をする事は、プルトニウムの製造に繋がる。これは、核兵器製造を意図する国家としては、見逃す事のできない旨味なのであろう。日本においても、この原子力発電のノウハウがある事によって、核兵器開発能力の内外への政治的なメッセージを示している。



このような理由から、害毒著しいはずの原子力の危険性について我々はたびたび無視させられるものの、二酸化炭素排出による地球温暖化は必要以上に叫ばれているような気がしてならない。二酸化炭素の排出量が削減される事自体、森林伐採量が削減される事自体は、歓迎すべき事であろうが・・。

地球温暖化も、環境破壊も由々しき事であり、我々はそれらを阻止していかなければならない。しかし、それを阻止するからという事で、原子力行政を推進するというのは、あまりにも危機意識に欠けすぎているのではないだろうか・・と思うのである。懸案事項の順位が逆ではないか・・という事である。

50年後には、南国の島が水没してしまうという宣伝がされる・・本当だろうか?それよりも、近未来の10年のうちに、隣国の中国では原子力発電所が20基以上も建設されるそうである・・こちらの方がよっぽどリアルな話なのではないだろうか?


今でもロシアのチェルノブイリ近郊(半径30キロメートル以内)には立ち入ることができない。放射化が酷く、その浄化にはどれくらいの年月がかかるかもわからないという。

その大地には生物が住む事は当分許されないのである。

チェルノブイリ事故による原爆症の被害者は、数万人にのぼるといわれる(細かく算定すれば100万人を超えるのではないか・・)が、統計がどれも曖昧である。周辺地域の家畜は、みな汚染され、肉やミルクまでもが汚染化したために、それを食べた人たちが、放射性物質を体内に取り込み被爆している。

汚染化した砂塵は北半球全体を覆ったともいわれている。そして木も、湖も、汚染化した。その影響を我々はどのようにして知れば良いだろうか。癌の発生率が高くなった・・という事で知れば良いのだろうか?


核兵器に使用されるプルトニウムの語源をご存知であろうか?

プルトーとはローマ神話の冥界の王であり、プルトニウムとはそのプルトーを語源としている。人類はその悪魔をこの世に誕生させ、そしてそれをあたかも都合のよいように利用しているつもりでいるのだろうか。



私が尊敬する科学者の、ハイゼンベルグ、ボーア、アインシュタイン、フェルミ、ファインマン・・彼らによって核力が生み出された。原子爆弾を作ったのも彼らである。それらは過ちであった・・そう思う一方で、その責任の全てが彼らに起因するものではないのだ、とも私は考えている。(参照:マンハッタン計画 )

何故ならば、たとえ彼らがこの世に存在しなかったとしても、人類はいずれ核力の発見をしたに違いないからである。やはり誰かが、冥界の王をこの世に蘇らせてしまうのである。

しかし今度は、この冥界の王を再び眠りにつけなければいけないのではないか・・それが科学者の使命である気がする。そして、それが地球を守るという事、愛すべき大切な人を守るという事・・なのではなかろうか。


(大内さんには申し訳ないが)大内さんの死は、強烈なメッセージとなって我々に何かを投げかけているような気がする。我々が為すべき事、為さざるべき事・・それらが見えてくるようである。このドキュメントを我々は手に取り、そして肌でその身の危険を感じるべきである。

自分達も、バケツでウラン溶液を混ぜ合わせているような現状にある・・という事に気付かなければならないのではないだろうか。確かに臨界点に達しなければ問題ない(核が暴発しなければ問題ない)・・けれどその臨界点がどこにあるのか、やはり我々は教えられていないのである。

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