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太平洋戦争とは

今まで、それなりに歴史の勉強をしてきたつもりだった。しかし、現代に生きる自分にはどうしてもわからない事があった。それは、何故日本は戦争を起こしたのだろうか?何故負けると分かっていて、アメリカと戦争をしたのだろう?石原莞爾の大東亜共栄圏という思想は一体何なんだ?どうして国内の反論を押し切ってまで満州に進軍したのだ。満州事変は何故起きたのだ?それは、単なる軍国主義思想だったのか?欧米に遅れた時代錯誤の帝国主義思想だったのだろうか?

日本の中学生や高校生の歴史教育では、僕らはそういった疑問について答えを何ら教えてもらっていない。答えというよりも、日本の失敗の歴史のみが前後脈絡も無く教科書には綴られている。満州事変後の国際連盟脱退が日本にとっての致命傷であったと教えられた。リットン調査団という正義の調査団が日本を断罪したかのように教えられた。それらは、勝者の歴史であって、日本史ではなかった。

アメリカの鏡・日本

ヘレンミアーズの「アメリカの鏡・日本」、僕は正直頭が殴られる想いで読んだ。特に4章あたりから先の中身には驚いた。自分の心の中にずっと淀み続けていた霧が一斉に晴れたような気持ちにさせられた。繋がっていなかったものが繋がった。凄まじい本に巡り会えたなと思った。と同時に、日本という国が哀れに思えてきた。戦争裁判でスケープゴートにされ、今なお、我々は勝者の歴史の中でスケープゴートにされ続けている。

歴史の歯車というのは、人々が考えているほどセンチメンタリズムのある、分かり易いドラマではない。歯車は人が意図し、意図せずに、複雑に絡み合って動いているものである。どちらか一方が完全悪である戦争は少ない。特に日本の戦争は誰にも止めることができなかったのだ。歴史の中で、誰かが悪者にならなければならなかった。そういう類いのものであろう。

我々は贖罪意識が強く植え付けられたがために、今も日本の主権を脅かす問題を解決する事ができない。日本は二度と領土的野心を持ってはいけないのである。エネルギーを欲してはいけないのである。繰り返し我々は刷り込まれてきたのである。日本は今後もエネルギーの輸入大国として、世界へ奉仕し続ける国であらねばならぬのか?否である。そのためには歴史を紐解き直さなければいけない。

近代国家は白色人種によって生み出された。だから、白色人種は優等種であり、有色人種は劣等種であるとされた。近代史が始まった頃、白人優越主義に疑問を挟む余地は無かった。何故なら、白人は地球の支配者であったのだから。

ローマ帝国勃興後、白人は小さなヨーロッパ大陸を根城とし、白人同士の侵略争いを繰り返していた。しかし16世紀に入ると、白人は自分たち同士の争いよりも、自分たちの利益を求めて外の世界へ拡張に勇んだ。彼らは勇ましくも冒険家とも呼ばれた。そしてアメリカ大陸の発見がヨーロッパを変えた。発見というのは、白人から見ての発見であるが、アメリカ大陸にも、オセアニアにも原住民はいたのであるが。

白人の拡張主義は旺盛であり、インドや北アメリカを植民地にしていった。原住民を殺戮し排斥し、自分たちの欲しい物を手にしていった。その後も白人は拡大の手を緩める事無く、アジアや南アメリカへと拡張していく。その頃の日本というのは一介の極東の島国であり、白人の拡張主義なぞ知る事も無く、内戦後の平和を鎖国という政体によって噛み締めていた。

ところが、19世紀になると突如、望んでもいない訪問者が日本にもやってくる事になる。それは独立戦争と南北戦争を終え、帝国主義に目覚めたばかりの猛々しいアメリカであった。日本は優等種である白人によって、開国を迫られ不平等条約を押し付けられてしまう。日本史上最大の屈辱であった。そこで日本人は脊髄反射的な反発心を抑え、猛烈な勢いで優等種である欧米人の勉強を始めたのだ。

日本は、不平等条約の解消のためには、自分たちが強くならなければいけない事を知った。近代国家の外交とは、強さを背景にした法的擬制であった。そして、このまま何もせずに手をこまねいていると優等種に飲み込まれてしまう危険を知ったのである。こうして日本は置かれた立場を素早く学習し分析し、ロシアの南下を食い止める方策に打って出た。危険な事に、日本の隣国には李氏朝鮮という弱々しいウサギがいたのである。悪政に虐げられた国民は最貧民であり、ロシアに付け入られる口実を十分に有していた。

日本は韓国を併合し植民地化したが、日本は韓国から利益を搾取しようとはしなかった。何故ならば、韓国が強くあらなければならなかったからである。それほどに、韓国の体制は脆弱であり、脆弱な体制ほど、欧米諸国の植民地に成りやすかった。それを阻止する必要があった。

こうして、日本はロシアの南下を食い止め、イギリスの利益を生み出した。何故ならイギリスを始めとする白人たちは中国に大きな利権を持っていたからだ。地続きのロシアから、日本は白人たちの利権を守るために奮闘したのである。晴れて、日本は欧米列強との不平等条約を解消するに至り、第一次大戦では、戦勝国の仲間入りまで果たしたのである。日本はアジアの警察として治安維持に努めていたのだ。

 

日本の植民地統治は欧米のアジアに対するやり方とは異なった。黄色人種同士であった事もあろうが、日本は何よりも韓国に強くあって欲しかった。強くなってもらわなければならなかった。弱くては、ロシアの防波堤にはならない。だから莫大な資本を投下してインフラ整備を行った。後の満州国に対するやり方も同じであった。

日本は、エネルギーが慢性的に不足していた。鉱物資源も足りなかった。日本は優等種の仲間入りをしたのだが、白人の力を借りなければ実は生きていくこともできない脆弱な国であった。日本には、アメリカのような肥沃な土地もなく、イギリスのような広大な植民地も無かった。であるから、いつまで立っても日本帝国は白人に胃を抑えられた手下であった。

その意味で満州国の創設は韓国併合とは理由が大きく違った。満州の創設は、日本が真に白人から独立するために必要であった。日本の近代史が開かれ、最初のうちは不平等条約に悩まされてきたが、ここにきてようやく日本は自律しようとしたのである。満州の創設については細心の注意を払った。満州は植民地ではない証しに、日本は満州と不平等条約を結ばず、満州人の権利を守ろうともした。満州を強くするために、またも大規模な投資を行った。そう、まるでGHQによる占領を受けた日本のように。

これに反発したのが、中華民国であり、中華民国に利権を持っていたイギリスとアメリカであった。満州の設立を断固認めなかった。満州は、中華民国からしてみれば自分たちが倒した清王朝であり、亡霊のように蘇ったかのようであった。また、欧米列強からみれば自分たちがアジアに対して不平等条約を強いているやり方を、日本が否定するようなものであった。日本は、アジア平和を考えて満州国を創設しようと考えたが、それを国際連盟は認めなかった。欧米列強からみれば、日本は大人の言う事の聞かない子供だったのだ。

この辺りからである。日本が大東亜共栄圏を唱え始めたのは。最終的には、中国やアジアの開放を旗頭にして日本は連合国と戦う事になる。欧米列強は、言う事の聞かない日本に満州を手放せというのである。何の法的根拠も無くである。イギリスがインドや中国から手を引く訳でもなく、フランスやオランダが南アジアから手をひくわけでもないのにである。日本はエネルギー資源に乏しい。満州を手放すという事は、また劣等種に戻れと言われた事に等しい。近代化のためにどれほど日本が努力して来たか・・・、そう考えたとき、二度目の屈辱を受け入れる冷静な理性を日本は持ち合わせていなかった。

日本が満州にした事は、大規模投資と傀儡政権の樹立である。ただし、日本は満州を正当な独立国として扱った。満州国が弱かったため、日本は軍隊の駐留だけは認めさせていた。程度の差こそあれ、米軍基地を多く抱える今の日本と何ら変わりがない事を日本はやったに過ぎないのである。

この後、連合国と日本との溝は日に日に深まって行った。アメリカは、蒋介石に資金を投じ、武器を与えた。イギリスが日本をロシアと戦わせるために、日英同盟を結んだ時のように。経済制裁を強めて行き、真綿で首を絞めるように、じわりじわりと日本を追い込んで行った。最終的には、ABCD包囲網によるエネルギーの禁輸措置が取られ、日本は後戻りができなくなってしまったのである。

日本の戦争行為が侵略戦争であったか?実に疑問が多い。しかし、日本の歴史教科書は、日本は侵略戦争を行ったから欧米列強に怒られ、制裁を受けたと教わる。これは大きな間違いであると思う。確かに、日本は戦争行為を行った。韓国や台湾を植民地化した。力のあるものが、力のないものを強制的に支配下にいれるわけであり、そこには少なくない反発もあったであろうし、残虐性のある行為もあったであろう。しかし、それは本当に侵略というべきものであったのだろうか?

平和という、モルヒネをうたれたかのような今の日本人にとっては、70年前の戦争行為は有無も言わせぬ悪であり、過ちであったと考えている。しかし、主権国家には自衛権というものが認められているのである。人類は、いつの時代も常にその自衛権を拡大的に行使してきた。アメリカは、自衛権の正当な行使として、欧州に攻め入ったし、日本にも攻め入った。その後、ベトナムにも攻め入ったし、イラクにもアフガニスタンにも攻め入った。これは、アメリカの正当防衛なのである。

やられるより前にやれ、というのが戦略の基本である。日本の自衛隊のように、自分たちが殺されるまでは手を出しませんなどという事は、国家間の衝突ではあり得ないのである。何故なら、一対一の人間のけんかであれば、その人が我慢すれば済む。暴力行為があれば、それを正当に裁く刑法がどの国家にも存在しているはずだ。しかし国家間の対立というのは、主権国家同士の戦いであり、負けた方は国家全体の消滅し、勝者の歴史を強制されるだけなのだ。そこに法は存在しない。国際法が本当に機能し、戦争の抑止効果になるかといえば、それは全くの嘘である。

少なくとも、70年前にはそのような国際法すらなかった。A級戦犯は平和に対する罪、人道に対する罪で裁かれたのであるが、その法が成立したのでさえ、1945年の事である。事後に作られた法律によって日本は裁かれたのである。今でも、竹島のような小さな島でさえ、日本がいくら訴えても返ってこない。国際法に訴えたところで返ってこない。北方領土も明らかな不法取得であるのに、返っては来ない。それが主権国家同士の武力による戦いの結果なのである。

現代に生きる人間があの侵略戦争は止めるべきだったと考えたとて、仮に戦争を止めていたのであれば、世界は本当に平和になったであろうか?軍事力を背景にした欧米列強の圧迫に屈し、日本が劣等種に戻る事を選択したとして、世界は平和だったのだろうか?逆に、日本が永遠に劣等種であり続けなければならないと、誰が決めることができるのか?日本があの時代に優等種であろうとしたのは、日本人の持つ素直な自尊心の現れであったはずだ。誰にも虐げられたくないという自尊心だ。

尤も、歴史を振り返ってみれば、あのような最悪の戦争を起こす事はなかったということはできると思う。どこかで譲歩し、自分たちを冷静に振り返る事が必要だったと言う事はできよう。その意味で、日本人は罪を犯したのだと考える事は間違っていないと思う。しかし、歴史の歯車は、物事を冷静に見つめることができるほど、センチメンタリズムに動く事はないのだ。

今も世界から、日本人はあんなに酷い事をしのだと言われている。しかし、あんなに酷い事というのはなんであろうか?東京大空襲や原爆を投下したアメリカにそれほど断罪されなければならぬ事であろうか?日本はアメリカに負けた。負けたから悪いと言われれば、それまでである。極東軍事裁判で、平和に対する罪を被せられたA級戦犯がいくら無罪を主張したところで、軍事法廷で勝者に裁かれてしまえばどうしようもない。無実のB級、C級戦犯で死刑にされた940人にとっても同じだ。しかし、日本はこの裁判を、日本の国際復帰のためのサンフランシスコ講和条約で全てを追認したのである。であれば、文句を言ったところでどうしようもない。戦争にけんか両成敗はないのだから。

しかし、我々が自分たちの日本史を取り戻す事は悪でも何でも無いのである。そして、今、戦争と関係のない戦後に産まれた我々日本人が、過去の誤った贖罪意識によって、自ら卑下し、貶める事はないのである。日本は、戦後多額の戦後賠償を行ってきたし、世界中へ支援の手も伸ばして来た。それらをまずは誇りに思えば良いし、過去をこれ以上悪く言う必要は無い。

韓国という国も、アメリカによる勝者の歴史を与えられた。あなたたちは日本の奴隷でした。だから、アメリカが開放させてあげたのです、と。しかし、韓国ももう一度歴史を振り返るべきである。日本の植民地化において、不満を多く持った人もいただろうし、虐げられた人もいた。憲兵に連行された人もいるだろう。そんな人はどの国にもいる。日本の共産主義者は政治犯として捕まっていたわけで。時代の要求により、日本の占領を受けてしまったのであるから仕方がない。今更、あれは屈辱であったと言ったところでどうしようもないし、今に生きる日本人に怒ったところでこれまたどうしようもない。

韓国には一方で成功した人も多くいた。日本軍とともに戦争で戦った人も多くいた。何より、日本が植民地化しなければ、ロシアに植民地化されていた。貧しい半島を捨てて、日本に移り住んだ人もいた。彼らは奴隷であった訳ではなく、日本で済む事も自由であった。我々は今の韓国を慰めるために、日本の行為自身を正当化してそう言う訳ではない。そうではなく、韓国は自分たち自身で歴史をもう一度見直すべきだ。そして、日本の奴隷であったなどという負の歴史を捨てるべきである。日本が残したインフラストラクチャーは無惨にも朝鮮戦争でほとんどが破壊されてしまった。しかし、それはもはや日本の責任ではない。日本を責めたところでどうしようもない。

いつになれば、この歴史認識を変える事ができるのだろうか。もしかすると、二度と歴史を取り戻す事はできないのではないかとすら危惧する。ヘレンミアーズを読むまでは、私自身もよくわからなかったわけであり。

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