2・26

2月26日という日は、その日がそのまま歴史を回顧させるという意味で、特別であると思う。だがそんなシャレ以上に、70年前の今日がその後の日本近代史の趨勢を決定したという重大な意義を持っている。常々、一度は北一輝の「日本改造法案大綱」などには目を通そうと考えてはいるものの、日常の喧騒に身を投げていると、後回しになりがちになってしまう。それは今後の目標にとっておくとして、今日は2月26日を振り返ってみる。

昭和11年2月26日は30年ぶりという大雪であった。 陸軍の過激な青年将校たちが「昭和維新」を旗印に蹶起、 重臣を殺害し、首都の中枢部を4日間に渡って占拠する というわが国の近代史上初のクーデターが70年前の今日に 起きた。

話は一年ほど遡る。その当時の陸軍には、皇道派と統制派の激しい対立があり、皇道派の派閥人事や青年将校の運動等の反発という形で、陸軍統制派の牽制が次第に強まっていくのであった。そして、統制派の中心人物の永田鉄山少将が、皇道派の相沢三郎中佐によって1935年8月12日、白昼斬殺される。これが事の引き金となり、2・26事件は起こる。

皇道派は極端な精神主義によって青年将校の支持を獲得している一方で、統制派は財界と深く結びつき、陸軍を中心とした合法的権力を目指していた。

このクーデターは首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁など永田町一帯を占領し、成功するよかのように見えたのだが、皇道派の思惑とは裏腹に、クーデターを起こした事に対して昭和天皇の逆鱗に触れてしまう。そして天皇自らによってクーデター鎮圧へと向かうのである。皇道派の青年将校としては、軍部主体の腐敗しきっている政界を打開するべく、天皇という神輿を担ぎ上げたわけであったが、その天皇によって逆に追い込まれる形となってしまった。

結果、首謀者は処罰され、東条英機を代表とする統制派の権力が強まり、 日本は引き戻す事のできぬ、混迷の大戦へと向かうのである。 この事件はそれまで意思決定に対してもやもやとした何ものかをふりきり、 日本の行く先をはっきりと強調したかのようであったと今になって振り返る事ができる。 4月には大日本帝国という国号が決まり、 翌年には我々が忌むべき日中戦争へと突入する。

当時の世界情勢を覗いてみると、 世界は資本主義化による大恐慌が吹き荒れ、 どの国も政治的経済的に不安定であった。 先の大戦があまりにも凄惨であったために、世界は国際連盟を設立し、 各国は軍縮を取り決めていた。しかしながら、そうした人々の理性に反し、抑制の中での資本主義経済の頓挫は、大きな 需要不足に病んでいたのである。

日本も例外でなく、日露戦争後、世界水準の海軍国を作り上げたのだが、政界財界の腐敗も強く、経済は低迷を続け国民は貧困にあえいでいたのである。当然のごとく社会主義運動の風が吹くのであるが、その一方で、中国進出を軍部中心に図りたい陸軍統制派が勢力を強めていったという背後がこの2・26事件には存在した。

資本主義という、明治維新後の新世代感覚への猜疑心が 当時の社会を包み込んでいた。処罰された青年将校らは陸軍士官学校卒の エリート達であり、 彼らが純粋な思想を持っていたのは、 いくつかの資料がそれを提示してくれる。 不安の中で、社会主義思想に対する膨張は続き、 やがて脳にある妄想を脱出し、世界へと顔を覗かせる。 クーデターは成功したかに見えたわけだが、彼ら自身が、天皇を神として政治的手段で使おうとしたために、運命からは裏切られてしまうのである。

歴史とはイデオロギーの戦いでもある。それを演じる人々が歴史教科書に登場し、名前を歴史という形として残す。2・26事件も同様であり、この戦いに勝利した統制派が、その後の日本史に登場し、耐え難い皇国の敗戦を導くのである。

70年後の今に目を向けても市場原理主義のホリエモンが先日敗北した。これはどういう未来を我々に提示するのであろうか。歴史の中に生きている事を強く認識し、我々の流れ行く先を大局の中に見つめていきたい。あの時同様、現在の世界経済状態は、アメリカを中心とする市場原理主義によって、悲鳴をあげている。IMFや世界銀行によって、発展途上国家は再び経済的金融的奴隷国家へと、合法的に仕立て上げられている。それをまさに象徴するかのように、中南米やアフリカの中傾化は進み、社会主義というイデオロギーが再び活気を取り戻し、暴力へと発展につながっている。世界の大局観にやや取り残されつつある現代日本国民は、今一度歴史を振り返り、イデオロギーを用いた権力闘争から、自分たちの平和を取り戻さなければならないのではないだろうか。一つだけの真実、一つだけの真理、一つだけのイデオロギーは、破局へのプロローグである。何もかもが金で解決できる世の中は、人としての情緒やぬくもりを破壊するのである。我々日本人がマネーを信じている現状と、大東亜共栄圏の桃源郷を夢見ていた頃とは、精神レベルでの差はほとんどないのではないだろうかと、つくづく思う次第である。

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